町会とは
ご挨拶
中央区に177ある町会・自治会は、住民が自主的に組織運営する地縁団体であり,防災・防犯をはじめ安全で安心して暮らせるまちづくりの推進や良好な地域コミュニティの形成など幅広い地域活動に取り組んでおり,一番身近な地域の絆だと思います。
当町会では、防災訓練、納涼盆踊り大会や子供縁日,大人の羽根つき大会、節分祭や二年に一度の山王さまの祭礼等を会員中心に運営しております。
当地区は、東京駅から約徒歩12分という好立地に位置することもあり,近年の住環境や産業構造の変化を受けて新たな町へと変化しておりますが、住・商・工が混在した地区で,昔からの下町文化を色濃く残しております。
今までの回覧や掲示板での告知を踏襲しつつ、ホームページやフェイスブックを活用して町会活動・運営の見える化を図り,皆様が運営や町内活動に参加したくなる町会にすることを目指したいと思います。
令和7年 町会長 板井克真
八丁堀三西(さんにし)町会は
どんな町会?
町会のことをぜひ知ってください
町会行事やイベントに参加しませんか!
町会員になって頂ける方や町会活動に参加して頂ける方を募集しております。
町会行事への参加を通じてお互いに顔見知りになりませんか。
いきなりはちょっとと思われる時は、八丁堀納涼盆踊り大会や町内清掃にご参加下さい。
町会員になることについてご検討頂ける場合は、「お問い合わせ」よりお申し出ください。
町会の運営状況や町内会費等のご案内を致します。

歴史
成り立ち
昭和18年、京橋区役所の要請により町会合併が本格化し、
現在の八丁堀三丁目西町会地域の岡崎町、元島町が西八丁堀三丁目東町会、高代町、松屋町が西八丁堀三丁目西町会となる。(町会誌より)
昭和22(1947年)年3月15日
京橋区と日本橋区の統合により、中央区となる。
戦後、町会組織が禁止される中、昭和23年4月、「桜會」(菊田卯之助氏発案)という名称で睦会が発足し、町会の基礎が作られる。
昭和25年頃から、住民が自主的に組織する新しいかたちの町会が次々と誕生し、昭和29年には区内のほぼ全域に町会が復活する。
昭和27年(1952年)4月28日、
西八丁堀三丁目町会が発足する。
昭和45年(1970年)1月1日 住居表示変更により
八丁堀三丁目西町会となる。
わが町のあゆみ(八丁堀三丁目西町会50周年記念誌) より

町会の範囲
八丁堀三丁目一番地から十七番地までです。
現在の八丁堀一丁目から四丁目は、以前は「西八丁堀一丁目から四丁目」(西町会)と「八丁堀一丁目から四丁目」(東町会)に、すずらん通りを境に分かれていました。
昭和45年の住居表示変更により丁目ごとに統合され、八丁堀一丁目から四丁目となりました。西町会、東町会という町会名は変更前の区分の名残と言えます。
ただし、一丁目は昭和45年の住居変更時に町会も一つに統合されたため一丁目町会となっております。そして二丁目西町会、二丁目東町会、三丁目西町会、三丁目東町会、四丁目西町会、四丁目東町会と七つの町会から成り立っています。
※なぜ新大橋通り(旧市場通り)ではなく、すずらん通りで町会が西町会と東町会にわかれるのか、については、すずらん通りは江戸時代(地蔵橋通り)から存在してきた八丁堀から茅場町をつなぐ道であったのに対して、新大橋通りは関東大震災後に造られた復興道路であるからと思われます。
下記のリンクはグーグルマップで八丁堀のそれぞれの町会の範囲を示しています。
八丁堀三丁目西町会は「山吹色」の範囲となります。

町会組織
町会長
副会長
常任理事、理事、番地理事を設け、組織運営を行っております。
常任理事 ・・・ 各部の代表者
番地理事 ・・・ 番地ごとの町会費の集金、配布物の配布等の担当者
理事 ・・・ 町内行事運営と伝達を担う担当者
厚生文化部 ・・・ 町内レクリエーション(バスハイク)の運営、敬老・成人式お祝い贈呈
防災防犯部 ・・・ 町内の防災・防犯の運営
保健衛生部 ・・・ 町内清掃、クリーンデイの運営
青年部 ・・・ 八丁堀納涼盆踊り大会・大江戸盆踊り大会手伝い、年末夜警の運営、節分祭、祭礼実施、ほか行事手伝い
婦人部 ・・・ 資源回収の運営
